(自叙伝「氷上花」から抜粋 )

あなたは今までに自分の人生を変えるような人に出会ったことがありますか。

今の私があるのも、この自叙伝「氷上花」を描くことになったのも、一人の男性に巡りあえたからです。 

今から、二十五年前、私は大学一年の夏休み、初めてアルバイトをすることの許しを、両親からもらいました。

それまでの私は、いわゆる箱入り娘だったんです。ですから、そのアルバイト先も、母が親戚の紹介で探してくれました。

そこは中古機械を扱かっている会社で、家から歩いて七分程のところにありました。 今でいう面接のようなものだったのでしょう。

私は応接室で待っていますと、背は1m80もありそうな、まるで田中角栄のようなガッシリした人が部屋に入ってきました。 

その人が一代で会社を成長させた室越会長さんでした。

室越会長は、私に「椅子に座りなさい」と言い、腕組みをして、部屋の中を何回もゆっくりと歩き回り、ドカッ!!と椅子に座り、数十分も何も話さず、私の顔をじっと見ていました。 

「君の名は?」

「井伊勢津子です」 

「いい勢津子だって? 何とおかしなことを言う子かね。自分の名前がいいなんて」 

「井戸の井と伊藤の伊を取りまして、井伊と申します。」 

「何だ!! 名前が井伊君というのかね。

僕は君の頭が狂っているのかと思ったよ。

自分で自分のことをいいなんて言うんだもの。

実際は悪いかもしれないのにさ。 

では、何でもいいのだね。

君のことを何でもいい君と呼ぶことにしよう。」

 この時の会長の言葉が私の心にものすごい衝撃を与えました。

さらに勤め始めると会長は 

「井伊君にアルバイト料を払っているんだから、こき使わなくちゃ、損だよ。

何でもいい君なんだから。」

 と、このような調子でございました。

ある日、一人の男性が、会長の会社に勤めたいと面接に来ました。しばらくすると、男の人は帰っていきました。 

会長が私に 

「井伊君、今、ここに来た人がいたね。

僕はその男に、どうして前の会社を辞めたのかと聞いたんだ。

 僕はね、その会社を辞めて何年か経ったのち、また、その会社に戻った時、その会社から、よく戻って来てくれた、と言って喜ばれるような人間にならなくてはいけないと思っているんだ。 

君も頭の隅に覚えておきなさい。」

 と、ポツリと、おっしゃられました。

この言葉も私に強烈な印象を与えました。

 何て! すごい人なんでしょう。私はもっとこの人から、学びたい!!

そして、辞めろ!!と言われるまで会長についていこうと思いました。 

またこんなこともありました。

会長と私が電車に乗った時の事です。

会長は座席に座られましたが、私はつり革につかまらずに、立っておりますと、会長は小さな声で私に、

「井伊君、もしも急ブレーキがかかった時、転ぶと危ない。つり革につかまりなさい。」 

と、注意をしてくださいました。

 ああ、何と神経の細やかな方なんでしょう。会長のたったその一言が、私の胸にジーンと響き渡りました。

当たり前の事なのに、当たり前と考えずに注意をしてくださる。人生を慎重に、そして、注意に注意を重ねた会長の動作の一つ一つが、何かを語りかけているように思われました。 

私はこのアルバイトによって、一人の老人から、どのようなことを学ぶのでしょうか。

 その後、会長のもとでアルバイトを続け大学一年が過ぎ大学二年の夏休みになりました。 

会長は背骨が「チクチクする」ということで、入院を致しました。以前、肺がんの手術をされ、再発したのでございました。 

私は、大学の勉強に影響が出ない限り、会長の看病をして下さい、と、会長の家族から頼まれました。

 私の母は、

「お母さんが、室越会長さんの年齢になった時、勢津子に看病してもらいたくても、勢津子は家事や育児 に追われて、親の看病をできる程、時間はないと思うの。

会長さんを親だと思って、看病をしなさいね」

 と私を励まして下さいました。 病状はだんだん悪くなっていき、会長の家族や身内の方が、三~四人、病室に泊まるようにと、主治医から言われておりました。 

ある夜中の午前二時半頃、室越会長の奥様から、私の家にリーンと、電話がありました。

「もしもし、こちら、室越ですが、会長がどうしても、今すぐ、井伊さんに病院に来て欲しいと言っているんです。

井伊さんの名を幾度も呼んでいるんです。」

 電話口に出た私の父は、母といっしょに私にすぐ病院に行くように言いました。 

二月の末の、夜が明けるには、まだまだ長く、誰かが、道路に水をまいたのでしょう。氷が張ったところを転ばないように歩き、私と母は一台のタクシーを拾い、室越会長の病院に着きました。

 冷たい夜明けの風が二人を容赦なく吹きつけ、体の芯まで、シンシンと冷えていました。

「会長さん、おはようございます。」

 と、私と母は会長に言いました。

 「井伊君、来てくれたのかい。それに井伊君のお母さんまでも。井伊君のかあさんや、ほんとうにすまないねェー。

こんなに朝早くから叩き起こしてしまって。

僕はもうすぐ、御陀仏だよ」

 と言いました。

 室越さんの奥さんは 

「うちの主人は、井伊さんが来た!と言うと、ニコッとするんですよ。それまでみんなに、ブーブー文句を言って、嫌な顔をしているのに、井伊さんの名前を聞いただけで、顔の表情が変化するんですよ。」

 と言いました。

そして会長は言いました。 

「井伊君が来てくれて、ほんとうによかった。安心したよ。実は井伊君、とても怖かったんだよ。僕が夜中に目を覚ましたんだ。そうすると、赤鬼、青鬼、黄鬼の三匹の鬼が目をギラギラさせているんだよ。ドアのそばに一匹、テレビのそばに一匹、椅子のそばに一匹、いるんだ。だんだん近寄ってくるんだ。 

あんまり怖くなったんで、助けてくれやー。井伊君、助けてくれや!と、大きな声を出したんだ「どうしたんですか」と叫ぶので、払いのけようとしてぶったんだ。同時に「痛い!」と叫んだ声がしたんだ。よーく見るとかあさんだったんだ。 そんなに井伊さんがいいんですか!と怒った声で、僕をギョロッと、にらんだんだ。そのにらんだ顔を見ると、よけいに鬼に見えて、怖くて、怖くて、朝になれば、井伊君が来てくれる。もうこれ以上、一人でいたら、僕は殺される!と思ったから、井伊君を呼んだんだ。

井伊君、僕の用心棒になってくれ。」

と、会長は涙をいっぱい溜めて、私を見ていました。 

会長は夢を見ていたんですね。

少しおかしくなってきたんですね。

病気が大分、悪化しているな!

と思いました。 

そのような時に、

「お父さんにもう一度、お会いできるのが、清子の願いです。」

という一通の手紙が、舞い込んできました。

 

その手紙を会長に見せますと、今まで、ずっと黙っていた会長は 

「井伊君、清子は前の別れた女房との娘なんだよ。 女房の手前、今まで、がまんをしていたけれども、こう年を取り、病気になると人間は弱気になるんだねェ。 井伊君、清子に会わせてくれないか。会いたいんだよ。」 

と言われました。 

ちょうど、室越さんの奥様がお見えになりました。 

「奥様、実は会長が聖子さんに会いたいと望んでいるのですが。」

 と、私が言いますと

 「井伊さん、今頃、清子に出てこられると財産相続の話が出てくると困るのよ。

 清子の顔など見たくもないのよ。」 

と言われました。 

私は

 「奥様、私はどうしても死ぬ間際の人間の望みを叶えてあげたいのです。 

血のつながった親子の縁は切れないと思います。」

 と言いました。

すると奥様は 

「井伊さん、以前からあなたと約束していた事なんだけど 百万円のダイヤモンドと一千万円を会長が看病の御礼に、井伊さんにあげるように頼まれていた事を、 あなたが、受け取らないと約束をしてくれれば、 会長に清子と会わせてあげてもいいわ。」 

と言われました。

 私が病室に戻りますと、会長は廊下でのやり取りを聞いていて、

 

「清子のことで、井伊君を困らせてごめんね。」 

と寂しそうに言われました。 

当時の私でも、もうすぐ死ぬ人間についているよりも 権力を持っている人間に付いている方が、得なことはわかります。

しかし、私は人間の真実の心を、目の前の利益のみを考えて無視する事などできませんでした。 

皆様は自殺を考えた時はありますか? 

私は会長の看病と、会長の家族がお金だけで動いている姿に、大変、疲れてしまったのです。 

私は、自分が、生きているのか、死んでいるのか、分からなくなる程の精神状態に陥っていました。

 家に帰り、私のような素直なだけの人間なんか、この世で生きてはいけない、

と思いながら、手のひらに並べた睡眠薬を口に入れようとした瞬間、大きな手のひらが、私の手を、パサッと叩きました。

そこに父が立っていました。 

「勢津子、勢津子のとった態度こそ、真の人間の姿ではないかな。死ぬまぎわの人間の気持ちを無視して、室越会長の奥様からお金を受け取っても、 それは勢津子の人生をつぶしてしまうものだよ。

 この世に貴き生命を与えられて、どれほど、世の中にお役に立つ事ができるのであろうか。自殺する勇気があるのなら、その力を世の中の平和の為に役立てなさい。 清く正しく美しく、この世の中に大きく羽ばたきなさい。」 

と、父は、私を励ましてくださいました。

 次の日、病室で会長は私に言いました。 

「僕は今までの人生で一番、困った時、たった一人井伊くんが助けてくれた。

清子に会わせてくれた。

 僕の氷のような冷たい人生に君は僕の心に花を咲かせてくれた。井伊君はまるで氷上花のようだ。

 僕は死んでも君を応援しているよ。

僕の人生を小説に書きなさい。井伊君、ほんとうにありがとう。

 

井伊君、ガンバレ!!」 

私と会長は互いに涙でかすむ目をじっと見つめたまま、しっかりと固く別れの握手をしました。

 私が家に帰りますと、私の母、井伊イセ子は、

 

「それでは、会長の病院に私も最後のお見舞いに行きましょう。」

 と言って、出かけました。  

それから一週間後に、会長は亡くなりました。

 

お通夜に伺うと、室越会長の実の妹が私のそばに来ました。 

「井伊さん室越会長に会ってあげてください」

 「清一兄さん、清一兄さん、一番、清一兄さんが会いたがっていた井伊さんが来てくれましたよ。」

 と、言いながら、室越会長の実の妹は会長の顔の白い布をはずしてくれました。

 翌日、室越会長のお葬式が済み、帰ろうとする私達母子を室越会長の妹が呼び止めました。

 「兄の家は非常に複雑ですので、何もお話することは出来ませんが、一つだけ、お話をさせていただきます。

兄の死に目は、誰も気づかなかったのです。兄が死んだ後、手首の床ずれの包帯を新しいものに取り替えようとした時、パラ、パラと白い名刺が、私の足元に落ちてきました。何だろうと思い、拾い上げますと、

表には井伊イセ子と書いてあり、

 裏には、 

〈会長様、勢津子が本当にお世話になり、ありがとうございました。〉

 と書いてありました。 兄は自分のかゆいところもかけない程、神経が麻痺しておりましたのに、その兄が、いつのまに誰にも気づかれずに、その名刺を手首の包帯の中に隠したのでしょう。

 兄は死ぬ間際まで、井伊家と勢津子さんに感謝をしながら、この世を去っていきました。

 最後まで、兄が名刺を肌身離さず持っていたということで、すべてを察して下さい。」 

と会長の実の妹は話してくれました。 

その後、私は大学で『人生をいかに生くべきか』の懸賞論文に応募致しました。

その懸賞論文は1位になりました。

その時、審査委員長であった元労働大臣 加藤勘十先生が 「この論文をもとに一冊の本を書いて下さい。そして、本が完成したら、必ず、私のところに届けて下さい。」

との、お約束を交わしました。 

それから、コツコツと書き続け原稿を仕上げました。

しかし本を出版するのは出過ぎた事と思い、全て原稿を処分してしまいました。

 

やはり、加藤先生とのお約束に答えなければと思い直し、再び原稿用紙に向かい、再度原稿を書き上げました。 

室越会長の人生は、何故、氷のような人生だったのでしょう。

 親戚とか、家族とか、複雑な人間関係の中で、みんなが会長の本当の気持ちを察してあげないで、ただお金だけで、お金だけで、動いている人たちだったから、会長の人生は氷のような人生だった、と、

自分でも、認めていました。

 会長が亡くなる時に

「氷上花というタイトルで小説を書きなさい」

と私に言ってくれました。 

会長は、自分の人生は、本当に氷のように冷たい人生だった。なおかつ、自分の心も氷のようになっていました。その氷の心に、一輪の花を咲かせてくれた。だから、もし、小説を書くのだったら、タイトルは『氷上花』にしなさいと、

素敵なタイトルまで、もうすでに、その時に私にくれていた訳です。 

会長が、自分で自ら冷たい心だと言っていた心に咲かせた氷上花が、その氷上花が、結果的には、私に幸福をもたらしてくれました。

世界一、淋しい人が、さみしくこの世を去ったけれども、向こうの世界で、じっと、私を見つめてくれていると思います。

 厳しい世の中におきまして、これからも、私は氷上花を大切に育ててまいりたいと思っております。 

追記

 私は、氷上花の本を書き上げなければ、自分が何を為すべきなのか、どのように生きるべきなのか、本当の自分の姿に巡り合わないような気が致しました。 

出版社や他の作家の方々にご相談すれば、簡単なことでございますが、ヘタな文章でも自分の言葉と自分の力で書きあげれば、二冊目、三冊目も書くことができます。

自分の為に自費出版を致しました。

  人間には、いつも二つの道があり、どちらかを選ぶことにより、その人の人生が組み立てられていくのではないでしょうか。 

私は二つの道に出会った時、人間として、いかに生くべきか、と、いう考えを貫いてまいりました。 

「世の中のお役に立つような人間になりなさい」

 と、母は教えてくれました。

 「汗という水をまき、努力という肥料を与え人生の花を咲かせなさい。」

 

と父は、教えてくれました。